ユング心理学 アニムス

女性の場合は、いわゆる女らしい外的根本態度に対して、無意識内には未分化な論理性や強さが集積されている。それが夢においてイメージになるときは人格化されて男性像をとることが多い。それがアニムスの心像(アニムス)である。女性の内界に存在するこの男性、アニムスは、例外を許さぬ頑固な意見として外に現れてくることが多い。ユングはアニムスは意見(opinion)を形成し、アニマはムードを醸し出すといっているが、実際、世に恐ろしいのは、女性の意見と男性のムードである。どちらも不可解な頑強さをもっているのが特徴である。アニムスに取りつかれた女性は「……すべきである」と意見を述べる。これは原理的、合理的には正しいが、その個々の実際場面やタイミングに適していない時が多いので、この頑固な意見に会うと、男性は俄然感情的になって、感情的な反対論を述べる。これはいつまでたっても交わらぬ平行線であって、ほとんどの場合は時間しか解決しない。アニムスはアニマと同様に否定的な面も持つが、肯定的な面も持つ。

アニマの発展の段階が4段階であったように、アニムスも4段階に分けて考えることができる。これをエンマ・ユング(ユング夫人)は

(1) 力
(2) 行為
(3) 言葉
(4) 意味

の4段階に分けている。これはゲーテのファウストにおいて、ファウスト博士が新約聖書のギリシャ語を独訳しようと試みて、『はじめにLogosありき』のLogosを、
言葉(das Wort)、意味(der Sinn)、力(die Kraft)、そして行為(die Tat)としてみることから取ったものである。実際、アニマがエロスの原理を強調するものであるのに対して、アニムスはロゴスの原理を強調するものということができる。

力の段階は男性の力強さ、特に肉体的な力強さ(simple physical power)を示すもので、スポーツ選手などのイメージとして現れる。(小学生は足の速い男の子がもてる)
これはアニマの第一段階に対応して、「低いアニムス」とでもいうべきであろう。
次の行為の段階は、強い意志に支えられた勇ましい行為の担い手の男性像によって表される。(中学、高校は野球部、サッカー部のレギュラーがもてる)

男性の場合、アニマの問題が退行した状態で生じるときはエロチックな空想として現れることが多いが、女性のアニムスが退行した場合はエロい空想が現れることは少なく、むしろ、頼もしい男性の出現によって、未来の人生の設計という願望に満ちた考え(多分に空想的であるが、本人にとっては、一つの考えである)として生じてくる。そして、この本人にとって素晴らしい考えによって、「女性も職業をもつべきである」とか、「自分の夫はイケメンの年収1000万以上でないといけない」とか、動かしがたい意見が形成される。このように願望に満ちた考えが強くなると、それとの比較によって、外界にあらゆるものは無価値に見えたり、つまらなくなったりしてくる。何に対しても、浅薄な批判を繰り返すうちに、ついには自分にむけられ、自己評価を極端に下げたり、「大学を卒業すべきだった」とか「あの人と結婚すればよかった」と繰り返すことになる。以上、否定的なアニムスの効果について述べたが、アニムスは、このように破壊的作用のみもたらすとは限らず、女性の中にある願望に満ちた考えは、誰もが気付かぬ可能性を見出したり、新しく提出された意見や思想に対して、偏見を持たず賛同したりすることによって、建設的な役割を果たす。
男性が硬い思考の枠組みに捕らえられて、新しい傾向を排斥しようとするとき、その意義を認めて革新的な行動に加担する女性が現れ、改革の推進者となることも多い。(初期の小池現都知事がそうであったろう)

アニムスが現在の女性にとって大きい意義をもつのは、言葉・意味の段階として示される知的なロゴスの原理においてであろう。現在の合理的、客観的な思考法を尊重する時代精神に支えられて、女性はつねに、このような意味でのアニムスの問題と取り組まねばならない。アニマの特性は他人との協和であるが、アニムスの特性は、鋭い切断能力である。差を明確にし、正誤の判断を下す能力は、快刀乱麻を断つのにも比する。(民進党の代表の事業仕分けが好例であろう)

前回、キャリアウーマンが男性をKOしていき、服を着ていなかった夢を見た事例を紹介ししたが、近代女性はそのアニムスの剣によって、自分の女の命を切り刻む作業に熱中する危険性に十分注意しなくてはならない。そして、アニムスの剣は、無意識の借り物でしかないので、強烈な意見の背後に親しい男性の意見や尊敬する人のコピーを捜し出せることもまれではない。実際、自分の女らしさを殺し、周りの男性の論理で固めた女性ほど、男性に敬遠されるものはない。(現在のある知事がそうであろう。)しかし、女性が自分の自己を通す場合このアニムスを生きてみて、統合してゆく困難な道を選択しなくてはならない。

そして、この道はつねに、女としての命を失う危険性と、男性からの強烈な反対によって著しい困難を伴う。(日本の女性政治家をみていればわかるだろう。)相手の男性が太母の懐にまだ眠っている場合は(アニマ以前の段階)この傾向はさらに著しいものになる。女性の独立の動きは、この男性の安楽な眠りをおびやかすからである。
このような困難な道を避けて、女性として、買い物や掃除をアニムス的要素をおりこむことによって、満足を見出そうとするのだが、家電の発達や少子化によって、家庭の主婦はエネルギーの剰余を得て、消費法に困る。このときに、エネルギーが低いアニムスと結合すると、この女性は性的冒険を求めて行動することになる。ヤリチンが母親からの独立を求めてのあがきであると、前に述べたが、ヤリマンの性的冒険やよろめきも、自己実現の道を求めてのみじめな努力ということもできる(矢口さん(仮名))

大抵の主婦は、この性的冒険は実行せずに、せいぜいドラマ鑑賞にとどめておき、余剰エネルギーはもっぱら自分の子どもへ注がれる。
現在の夫にアニムスの像を見出せず、「ああ、あの人と結婚しておけばよかった」というアニムス(こころ)の嘆きは子どもへの期待へとかわってゆく。(父親はだんだん妻に相手にされなくなってゆく)
願望に彩られた考えは全てこどもへ投影され、子どもは母親のアニムスを生きねばならぬことになる。子どもはやさしいくちづけで、百年にわたる女性の眠りを覚ます美しい王子であることが期待される。アニムスの発展を一途に願う母親に、合理的で、科学的な教育が父親に提供されると、悪名の高いモンスターペアレントが誕生する。モンスターペアレントは通常、同時にモンスターであり、この場合の男性も母親のひざにのっている坊ちゃんであることが多い。

人間の幸福を単純に考えると、(これは河合氏の意見)アニムスに気付かないほうが女性として幸福であると言える。自身のアニムスを抑圧していたり、気づかなかったりする、人形のような女性は、男性のアニマを投影するのに最適な女性であり、同性である女性はなぜあんな無個性で頼りない女性がもてるのか当惑することが多い。

ググれば情報が出てくる時代でアニムスの存在に気付かない女性は、(デジタルディバイドされた人々は除く)少なくなっているだろう。アニムスはとらえどころがなく、ユングもはっきりしたアニムス像を分析した例は一度もないといっている。アニマが一人の女性の心像として現れるのに対して、アニムスは複数人現れることが多いという。(これは、ジャンヌ・ダルクの幻聴としての聖霊が複数いた話とも一致する)少女漫画にイケメンの男の子が複数出てくることも、女性の中にアニムスが複数あることを示唆していると私は考えている。