世界のペルソナ 西川きよし=仏陀説

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ユング心理学 補講 1

元型:マナ人格

マナ人格は内的な理想像であり、こうなりたい未来の自分である。このペルソナが実体化例としてわかりやすいのが、聖杯戦争と題しているのに村の中の抗争で終わっている、FATE/stay nightにおけるアーチャー(英霊エミヤ) である。(この作品について私は否定的な立場をとる)

セイバーや遠坂が衛宮士郎(士郎ときくと、美味しんぼの方を思い出してしまう。山岡さん……)のアニマとすれば、コトミネ神父は衛宮士郎(ZEROでは衛宮切嗣)の影であり、衛宮切嗣は父(養父)だが、マナ人格であるといえる。

前置きはさておき、ふざけたタイトルと画像の説明をすると、芸人の西川きよしさんは、道化の面を被ってはいるが、面が外れなくて困っているのか(ペルソナと同一化しているのか(悪い意味))、実際は真っ黒な違う人なのか(しんどいわ裁判のエピソードを聞く限り、そうは考えにくい)、判断がつかない。健常者であることは疑いようがないため、ブッダのように、自己の統合ができた最初の人なのだろうか?

オードリーの若林さんは、影が強すぎて、狂気にみちた怒りを笑いに転化させている。(リトルトゥースとしては最近の精神状態が心配である。)、人を笑わすため(お金を稼ぐため)、外見の幼さをペルソナとして保っている。(本当は滅茶苦茶にしたいはずだと思う。)
対して、明石家さんまさんは、過酷なネグレクト環境に育ち、それを見せず、ただ人を笑わすことだけに、魂を磨いているひとである。この人も影が強い、統合しているとはいいがたい。

私が芸人に憧憬に似た念をもつのは、その道化の面の強さである。ペルソナの発展には、男性ならば、強さや判断力等、アニムスがもっているものが必要であり、(これを以後アニムスの剣と呼称する)アニムスの剣を磨くためには、好きな女性が持っているアニムスに近づく努力をしなくてはならない。つまり、かっこよくならなくてはならないのである。

ここで、前提として、私が左巻きに回転する変態であり、腐って外皮が落ちた、ぐちゃぐちゃな(武田鉄矢にいわせると腐った蜜柑)のようなペルソナであるにもかかわらず、その発展を放棄していることを理解されたい。

私は、自身のアニマを、ヒステリックな狂った老女のアニマ(たましい)だと考えて、それだと、母親とかわらないし、まだアニマの段階に至っていないのか、と考えたのだが、そうではなくて、狂人の殺人鬼としての影との統合がまだ終わっていないだろうとするのが、現時点での推量である。(多分アニマは死んでいる。それ(老女)がアニマであるならば、狂った老女に自分のアニマを投影して好きになるはずであり(一生ならないだろう)、怒りの心因である狂人の殺人鬼は同一性(男性)である影と考えるのが妥当だろう)

そういえば、私の父親も火サスを欠かさず見ていた。(なんでコイツは毎回、人が殺されんの見てんだよ。タタタタッ!タータッ!ターターー!♪ うっせぇ!うぜぇな。おめぇが死ねよ)といつも思っていたのだが、今考えると、父親のなかにも、人を殺したい影と善人でいたい自我が同居しており、その相反する戦いを、テレビに投影して(殺人犯に影を、探偵や刑事に自我を投影して)家族を顧みずに”やって”いたんだなと思われる。

アニムスを過剰に投影してくる母親や女性が鬱陶しくてコンプレックスが肥大化し、それにともなって、影も深く、肥大化して、制御不能になっているのが今の私の状態と考えられる。私には道徳と判断力、冷静さがひつようであり、影に呑まれないための努力が必要である。その一方で、外界に興味はなく、内的な冒険に耽るのみである、それが現実逃避であるという考えは一理あるが、価値観の押し付けはやめていただきたい。狂気が暴走しそうになるのでやめていただきたい。