仮想敵の必要性

週刊少年ジャンプの有名な海賊漫画では共通の悪辣な敵が存在し、
敵の打倒という目的で一致団結する。敵には敵側の思想があるのだが、
それを一切無視して、主人公側の正義を振りかざして、敵を掃討する。
そして、主人公側の力がインフレしてくるにしたがって、より強大な敵が登場する。

つまり、漫画の連載が続くためには、強大な敵の存在が必要である。
これは現代社会にも、似ている部分がある。

韓国は日本を明らかに仮想敵として、国民感情を団結させているし、
イスラエルだったら、パレスチナ側だったらユダヤ人、ユダヤ人だったらパレスチナ人である。

アメリカは状況が複雑だが、KKKなら白人以外すべて敵、テロ被害者ならISISが敵、
有色移民だったらトランプ大統領が敵。

中国人やユダヤ人は血縁関係が強固であるのに対して、日本人は核家族化、100歳以上の行方不明者多数に代表されるように、血縁関係は薄い。

小西議員や足立議員の炎上や週刊誌の文春砲に撃たれた芸能人は仮想敵である。
その人物の人間性を否定することで、見えない人間たちが一致団結する感情を共有する。そして、その見えない人間たちが自分たちを肯定する。それは直接の脅威である北朝鮮や中韓アメリカに向けられることは少なく、ワイドショーやコメンテーター相撲の親方、横綱、読者モデル、若者、老人などに向けられる。

自分の嫌いなものを一致させることで、共同体を作成するのが日本人の特性なのだろうか。思えば、農民の一揆、島原の乱、戦国時代から倒幕まで嫌いなものを壊すことで一致団結しているきがする。嫌韓も文春砲も必要悪なのかもしれない。