最適解


異性が異性にとって最適でないのと同様に、人生に最適解は存在しないのではないか。
若い人はそうではないかもしれないが、結婚して家庭を持って子供を(できるだけたくさん)作らなければカスみたいな風潮はもうやめたほうがいいのではないか?

もちろん幸せな家庭もあるだろうが、そうでない家庭もいる。子供が好きな人間もいれば、間違ってできてしまって負債扱いする親もいるだろう。

道徳の授業や帰りの会での告発は今思えば全て嘘だった。道徳を守らないと、人を傷つけるのでやめましょうではなく、これをすると道徳のビデオの製作者サイド、すなわち大人たちが傷つくかもしれないからやめてくれというメッセ―ジだったかもしれない。人間は道徳と逆のことをしたがり、それに快感を覚える。いじめや虐待をしている側は快感を感じているはずである。だが、それでも歯をかみしめ、偽善者と言われても、それを止めるような行動が汚れた液体にまみれた人間の哲学的な最適解かもしれない。

AmazarashiのフィロソフィーのMVに解=君という表現がある。すなわち、人生の意味とは君自身の生き方であるということであれば、この説明は投げっぱなしすぎる。そうだとすれば、これはフランクルの思想と似ている。人生の意味を問うのではなく、人間は(神に)問われている側であるという、問題の解答を拒絶している考え方だ。禅問答のように高僧のみがなぜか知っている解があらかじめ存在していて、どうとでも取れる問題の解き方をレクチャーしているのと何ら変わりない。

この平井堅のノンフィクションの歌詞のあなたが何を指すのかは平井堅にしかわからない。もしかしたら、平井堅が聞き手のあなたにあって救済したいたいだけという単純なメッセ―ジかもしれない。だが、もしこの”あなた”が人間の本質であるならば、これほど優れた歌はなかなかない。

人生は苦痛で、悲しみに満ちていて、命の火を手のひらで消そうとしては熱くてやめるような作業であり、いずれ終わる無意味なものだが、人間の本質がたとえ汚く、欲にまみれていたとしても、人間は人間に会いたいだけだということだ。