増え続ける痛み

死の目途が立った時、人は死を考える。
快楽も麻薬も社会的承認もなく、苦痛だけが増え続けるとき、
自死を考える。孤独死は発見が遅いと、腐臭とともに、大量の体液がベッドに染みつき、体が蛆などの虫に食われる。それを防護服を着た業者の人間が処理する。孤独死は覚悟していると言っている人間がどれだけその事実を知っているだろうか。

安楽死のシステムを社会が承認してしまうと、社会システムが崩壊するので、安楽死は認められない。成功者の息子が覚せい剤に手を出すように、死に損ないは毒を探す。宗教が胡散臭いものであるという共通認識が日本人にあるから、死んではいけない理由などは日本に存在しない。死後の世界を納得できるデータで説明できる人間はいない。

ほとんどの宗教で姦淫は罪である。身体的痛みは人間を制限する。宗教や神、集合的無意識が人間を制限する心の痛みであるにも関わらず、人間は増え続けている。
人に好意を持っても報われない人間は、骨のような刃が生きた分だけ心臓に幾重にも刺さる。その骨でできた剣の傷口から止まらない血を抑えながら、生きる痛みを止めるためにこの宗教的観念が生まれたのではないだろうか。
だが、盲目的に昔の弱者救済の政治道具に使用された文書を信じることができない私は、いずれ自死を選択しなくてはならないだろう。