誰も『私』を好きじゃない問題とどう向き合うか

男性はエースで4番、サッカー部のキャプテンばかりではない。二軍やベンチの人間の上にそれらの人々がいる。ピラミッド低層部の人間の中には誰にも愛されずに一生を終える人間も少なくないはずである。

かといってバブル期でもない格差社会の現在、貧乏人が101回もプロポーズすることはナンセンスである。(不倫で炎上するのは、結婚もできない貧乏人が多いからである。)
政治が悪いとするのもまた無意味である。美しくない狩猟能力の低い個体は死んでゆくのが動物の自然な流れである。

人間にあって動物にはない厄介な贈り物が知性であり、絶望である。絶望した人間は動物より長い時間、知性が生み出した自らの幻影にさいなまれ続けて死ぬ。人間の知性など幻覚を生むだけのものであるのに、その中途半端な知性が生み出した幻影に人は殺されるのだ。幻影を殺すのは幻覚だけであり、幻影を殺しうる幻覚を得るには大金が必要である。

アリとキリギリス 多様性について

童話アリとキリギリスで、キリギリスは夏楽しく生きるが冬は越せない。
この童話の伝えたいことは明白で、節制である。しかし童話というのは、決めつけが多いように感じる。差別と偏見を題材としたズートピアのような作品は少ない。アリとキリギリスでは個体が違う。

アリの中でも、欲に落ちて自堕落な生活を送るものがいるだろう。実際にアリのコロニーの中では一定数の働かないアリがいる。キリギリスも節制する個体もいるだろう。分類学上の見た目、鳴き声でひとくくりに分割して区別するのは危険である。

この童話が人の心をとらえるのは人間の本質に深くかかわっている。すなわち人はステレオタイピングを好むということである。黒人だから、女性だから、障碍者だからとレッテル貼りをしてマウント行為にいそしむ低級な遊びを人は良く好む。

これをしないというのは大変な労力を要する。何もしゃべらないほうがマシである。メジャーリーガーが入りたてのイチローについていつも曖昧な賛辞を言っていたのはこの為かもしれない。アメリカは人種差別にセンシティブである。だから心の中では、ヒットしか打たない臆病な黄色いサルと思っていても、ニュースの取材ではグッドプレイヤーだの最もチームに貢献している一人だとか言う。レイシストとされるトランプの大統領選挙もこのような事態だったに違いない。

多様性を認めて、差別発言をなくすようにするのは聞こえがよいが、異常な労力を要する。ここに人間の限界を感じるが、人間が発展するためにはここが肝要である。すべての人間が必要だとはとても思えないが、マウント行為にいそしむお偉方、政治家、タレント、お笑い芸人をSNSで叩くよりもまず自分がそれをしないのが重要である。近道などなく一歩一歩進まなくてはならない。