飢餓感の欠如

情熱の足りなさは飢餓感の欠如と直結している。我々は暴力とエロが好きなくせにそれをひた隠しにして、程ほどの満足をエンターテイメントから得ている。
全員が欲望を全開にしてしまえば、社会として機能しなくなるため世紀末的な暴力世界は御免だが、道徳至上主義や若者を草食系として縛り付ける現代の風潮は明らかにおかしいと感じる。誤解してほしくないのは人殺しなどの犯罪を現実にせよというのではない。物理的、精神的、社会的暴力を受けてきた弱者の立場から言えば、暴力を振るう者に対する憎しみは計り知れないし、暴力の負の連鎖は途切れることはない。

弱者に生まれてしまえば、この暴力を受け続けながら現代の風潮に沿って、刑務所の中のように品行方正に生きるか、自然淘汰されるか、自殺するかを迫られる。このような不条理の中で、表現手法さえ縛られる覚えはない。表現者が製作を途中でやめてしまうのはこのような道徳至上社会で表現を矯正されることもあるが、程ほどの満足エンターテイメントを是とし、自分の作品とヒット作品との乖離に絶望するからである。勿論マーケティングは重要であり、製作費をペイできない作品はゴミであることを前提に考えると、私の作品は薄くて下手な水彩画のようなものである。その原因は情熱の不足、すなわち飢餓感の欠如である。厚塗りのような作品にするためには飢餓感が必要である。