メディアに出てくるコメンテーターや評論家、有識者にみえるひとびと

経済評論家、軍事評論家と言われる人々が、ミサイルのXデーをことごとく外し、いつもテレビに出てきて、サイバー攻撃の曖昧な理論を展開する。例えばミサイルの部品にマルウェアが含まれており、レフトローンチ理論を展開する。ミサイルの部品の例えば温度センサーにバグを仕込んだソフトをRAMに焼いているだとかならわかるが、軍事評論家の説明はUSBメモリを装置にさせばよいとかリテラシーの低いことを言う。”発射可能性は低いかもしれない”だとか、ミサイルの発射権はごく一部の人間しか知らないで終わる。それはネットで調べればわかる知識であり、専門性は限りなく低いのに、専門家と呼ばれ、不安を煽りテレビ局から給料を得ている。そもそも情報のソースが4,5年前のものだったり、すでに引退した海自の高官や存在するかどうかもわからない米海軍の軍人の情報であったりする。こういう人々の特徴は定量的な可能性の数値を出さずに、警戒が必要であるの一点押し。番組構成は飢饉に陥れる独裁者は粛清されるべきというような感情論にもっていく。これは情報とはとても言えない。必要な情報はJアラートの空襲警報のような音だけだ。控えめな有識者の発言のほうが信憑性が高い。実際に目で見て、写真を提供して話をする人よりも、高慢に腕を組んでローテクな軍事技術のほうが却って危険であるなどと宣う、標本数が少ないか全く根拠のない情報を自信満々で話すひとびとはおかしいと視聴者は気づいている。

若手芸人のファッキンニート発言

日本にはニートという言葉がある。これは差別用語なのだが、お笑い芸人の中には面白いワードとして使用している人間がいる。

世間一般のニートのイメージは以下のようなものである。健康であるのに、働きもせず、引きこもり(これも差別用語)をしているか、親の金でパチスロにいっている人々。

ニートと発言する人々はニートの背景については考えもしていない。確かに、健康で働ける人々で、遊んでいる人もいるだろう。しかし、劣悪な家庭環境や、不登校やいじめ、面接での失敗、職場での精神疾患による辞職等、普通に病気、身体的、精神的障害、様々な自由によりニートにならざるを得ない人々を一括りにして、

”俺らのリスナーはファッキンニートしかいない”

と何回も発言することは、辛く悲しい人々でラジオを楽しみにしている人々の心を深く疵付けることを何とも思っていないことの証明である。

人を笑わす職業であるのに、弱者を傷つけて笑いをとるのはいかがなものか。しかもその弱者の割合はマイノリティでもない。

そこにはピースはないし、人は一度されたマイナスな出来事を忘れることができないし、赦すこともできない。

 

聖人と悟り

聖人や聖者はあらゆる人にとって都合のいい人間と定義すると、そんな人間は存在しないことは自明である。

ではキリストやマリアやブッダの悟りとはなんなのか。

私は人間の一状態であると考える。賢者モードのモードである。

定常で聖人状態な人間は頭がおかしい。 だから聖人と狂人は紙一重なのだ。