魔女狩り記者会見 

5月22日午後3時 ラフプレーをした日大選手の記者会見が行われた。
彼はこの時点では犯罪者ではないし、芸能人でもない。もっとひどい傷害を起こした犯罪者もこのような記者会見は行われない。気になったのは、記者の質問が若い選手の人権や刑事訴訟になるかもしれない今後を一切無視し、質問しなくても分かる程度の低いものであることと、カメラに記者の顔が映らない点である。

『今振り返ったら、あの時のラフプレーをしたと思いますか?』などという質問はただ選手を傷つけるだけの時間の無駄な質問である。国民も馬鹿ではないから、『なぜ質問する側は一切傷つかないのか』というワイドショーの記者が一方的に人を傷つけている問題と、このような記者会見の後味の悪さに気づくはずである。

今が火山の噴火中、あるいは膿を出している最中であれば、溶岩が冷たく固まり、膿が出尽くせばこのような会見も少なくなるのだろうか。あるいは、キリストの時代も石打ち死刑場に石を持つ人や見物人が集まったというから、人間の本質は古代からずっと変わらないのかもしれない。

道徳教育に意味はあるのか

個人的には日大のアメフト部が日本国民のガス抜きに使われているように見えるが、不倫や失言、ラフプレーで大騒ぎする国民性の裏には道徳教育があるともとれる。

文部科学省の道徳教育学習指導要領解説には以下の表がある。

右の太文字だけ読むと、全部できる人間は聖人ではないかと私見ながら思う。つまり人間ではない。そもそも真理の探究と節度、節制、(生命の尊さ)は矛盾している。人間にできないことを、無理やり教え込む教育がもたらす弊害が現在のワイドショー個人叩き文化を生み出しているのではないか?

細かい文字を読んでも、具体例が示されずイメージが先行している。
アインシュタインは現実は厄介な錯覚と表現したが、それ以前に教育する側のイメージ先行で教育を受けたら、全体が現在のワイドショー個人叩き文化になるのは予想が難しくない。

大半のまじめな大衆が上図の右の太文字をくそまじめに履行している一方で、履行していない一方が得をしたり、犯罪を犯すと破壊に至るまで叩くのである。

多様性を認めるのであれば、イメージ先行で判断するのはよくないはずだが、『人は外見が9割』を承認し、SNSやワイドショーでついたイメージのみを信じる。(実際ほとんどの人間がそうである)この弊害により、日大のアメフト部でラフプレーを行った選手は社会的に死に、日大の監督は完全なる悪となり、ひいては日大を卒業した人間、関係した人間が恥を感じる文化は道徳教育にあると思われる。

確かに社会的規範を教えないと犯罪率が増える弊害があるが、上図の聖人になるための太文字を履行していれば損をするのは目に見えている。寛容な心で社会に貢献し、多様性を認め自然に敬意を払えば、がんじがらめで何もできない。道徳を守らないほうが得である。社会(これも個人のイメージ)は道徳を国民(これはつまるところ自分)に押し付けるくせに、金持ちや成功者や芸能人や政治家や諸外国(これも個人のイメージ)は道徳を守っていないではないかという不満が噴き出しているのが現在の日本の社会情勢ではないか。

“おおもと”がおかしいのである。人間は文部科学省がいうところの道徳を全部履行できない。国や親に都合の良い人材を作るための教育は果たして教育といえるのか?そして家庭環境を含めて誤っていたかもしれない教育を受けた人間はどうしたらよいのか。

八方塞がり


©ロイター

韓国の文大統領は、6月に開催予定の米朝首脳会談に「仲介役」を果たす考えであることを明らかにした。

北朝鮮は中国の支援を受けているという噂がある。北朝鮮の急な心変わりを鑑みると、この噂の信憑性は高い。もとより北は韓国のことなど信用してはいないし、核を廃棄する気などさらさらない。アメリカの核査察受け入れなど受けるはずがないのに、アメリカは強硬姿勢である。アメリカ側としては、強いアメリカを内外にアピールする必要があるため、穏和策はとれない。中国側としては、国際世論が”北の核廃棄”すなわち、”アメリカ寄り”に傾くとあまりよくないし、中国の尖兵である北朝鮮を南北統一されてはまずいと考えた。さらに、アメリカのイスラエルへの支援でアメリカへのイスラム圏の支持が下がったのも見計らったのかもしれない。文大統領の勇み足綱渡り大根ダンスが結果的に自爆へのカウントダウンとなった。

この局面を打開したならば、文大統領は本物である。北の心変わり、風向きの変化をよめず、定例とはいえ米韓軍事演習をしてしまった失態は大きい。ノーベル平和賞か、韓国人による死刑執行のどちらかの綱渡りである。

今の流れとしては北は核廃棄しないし、中国側に歩み寄る。中国は韓国よりも先に北を操作する。アメリカは強硬姿勢を崩さない。前の発言をコロコロ変える韓国はどうとも動けるが今度はどちらに転ぶのか。

小泉進次郎氏の国会改革

進次郎氏は5月16日野党不在の空回し国会について、総理の国会出席回数が日本だけ異常に多いことについて、『こんなに総理の出席回数が多いのは世界中で日本だけ。改革が必要である』という旨の内容を述べた。

フジサンケイグループの自民ゴリ推しには頭が下がるが、ちょっと待ってほしい。
それを言い出すならば、参議院はもっと不要ではないか?

現在参議院は与党が過半数を超え(70/121)、衆議院で通った法案はパススルー状態である。ねじれ国会など聞いたことがあるかもしれないが、参議院の唯一の利点はねじれを起こすことで法案の可決を遅らせることであると言ってもよい。野党にロクな人材がいないことがわかってしまった現在、この自公の岩盤がより硬くなることは明白である。政治家の良識に期待できない現在、良識のもと設立された参議院こそなくすべきではないか?と考えてしまう。また、進次郎氏は社会保障額を教育保障に、そして未来の為に使うと革新的な(夢みたいな)ことを言っているが、実質起こりうるのは子育て増税である。

参議院不要だと熱をこめて突っ走るのは簡単だが、実はこれにも弊害がある。憲法9条改正がご破算になりそうな今、国会議員の削減に手を付ければよさそうなものだが、議員の椅子を減らすと金持ちの老人たちとその子供たち(政治家)で政治家の椅子が埋まってしまうから、参議院の廃止(憲法改正が必要)も実質しないほうが良いのである。(参議院を廃止して衆議院の人数を増やすならばよいが、国民は納得しないだろう)

日本を美しい国にしようなどと考えずに、中国の脅威から日本をどう守るかが近々の課題であるのに、票と人気を取るために過激なことを取材で言うのは、インスタに胸の谷間をのせていいねをもらう行為と何か違いがあるのか。

ベトナムを訪れた中国人の九段線Tシャツ。国策として東南アジアを占領する意思があることを中国の富裕層の人間は誇りに思っているらしい。