世紀の茶番

米朝首脳会談が来週行われる見通しだ。ここで注目したいのは、『米朝韓での決定は無効』と“無関係”なはずの中国が主張している点だ。前年の弾道ミサイルのようなものの発射から前月の肉団子抱き合いなど全ては中国主導で書かれる空虚なお芝居であったことがわかる。

このお芝居に右往左往していたのは韓国で、カメレオンと揶揄された日本がこの脚本に一枚噛んでいたと予想するのはさほど難しくない。昨年まだ蓮舫が元気だったころモリカケ問題の真っ最中に、シリアにトマホークを躊躇いなく撃ち込んだアメリカの最強空母がアジアの海域を迷いながら進み、ツイッター上の舌戦で終始したことは対中政策がトランプ大統領の頭の中にあったことが今となってはわかる。
昨年の安倍首相とトランプ大統領の笑顔会談も何かしら密約があったのではないか。
日本嫌いだったトランプ大統領のあの変化は今考えても不自然である。
日本国民は本当に北朝鮮ミサイルの脅威を感じ、アメリカの必要性すなわち自民党の米兵だよりの防衛戦略が僅々に必要であることを印象付けられた。

そして今や日本国民はトランプ支持で、モリカケ仕方なしの現政権支持である。
強国が勝つのは仕方がないが、このような見せかけの情報戦が今後展開されても、
米朝韓のお粗末なドラマを思い出せば、何かしらの文脈が中国とアメリカの間にあるのがわかるだろう。

上の写真はベトナムのプラスチック汚染地帯を歩く、子供たちの絵である。
発展途上国であった中国、インドネシア、フィリピン、ベトナムのごみが一挙に海に捨てられたようである。(タイではポリ袋を飲み込んだクジラが打ち上げられたようである。)このゴミにまみれているが美しいと思える感情が何なのかは判別できないが、人間自体が地球のエントロピー増大に一役かっているのは紛れもない事実である。中国が熱的死を迎えるころにこの子供たちは生きているだろうか。

 

炎上芸人とSNS

安田大サーカスの“クロちゃん”は完全な道化を演じているので、サービス精神を感じるが、キングコングの西野の3億円借金騒動は彼の病を感じさせる。

貯金が全くないのに3億円の融資は通らないのはさておき、彼はSNSの病にかかっているのではなかろうか。こんなに才能があるのだから、認めてほしい、認めてくれるに違いないというのはわかるが度を超えている。注目を集めたいがためにする彼の行動は子供が泣きわめいているのと変わらず、美術館を建てるならば作品をもっと公開するべきではないのか。彼の行動が仮にボランティア活動の一環だとしても、ファンから徴収するならば政治家の箱モノ行政となんらかわりがない。彼が公言する300万人のファンから100円ずつ徴収したとしても、地元の人間は美術館へ足を運ばないだろう。
(追記:彼は翌日謝罪した。ディズニーを超えるならば軽率な行動を慎むことは勿論、謝罪するべきではなかった。新進気鋭が謝罪する文化の一翼を担うことになる。)

ところでFacebookの対応の遅れは、MMO黎明期のガンホーやNEXONの対応に似ている。ユーザーの不正ハックに対して、ガンホーやNEXONは一切返金をしないばかりか、対策すらしなかった。FACEBOOKは個人情報の集まりなので、オンラインゲームより質が悪いのだが、警鐘を鳴らしているにも関わらずあらゆる質問に答えていきたいなどと対応が後手に回っている。

 

 

嘘つき村の限界

ニコニコ動画にビートたけしが出演した時に『情報が多すぎてどれが本当かわかりません。何を信じたらよいですか』という質問をユーザーが投げかけていた。ビートたけしの回答は『街の人がこそこそしゃべっているのが本当だ』というものだった。

全員が合理性を求めた場合、全員嘘をつくようになる。本当のことを言っても得をしないからである。そういう意味ではツイッターは、裏アカウントを含めて何の意味もない愚痴をいう掲示板になり、インスタグラムやフェイスブックは個人の営業活動になる。情報化社会とは世界全体が繋がる夢のような話ではなく、政府から貧民まで全員の嘘が見える社会であり、「沈黙は金、雄弁は銀」という格言を実証することになった(元々は銀のほうが価値が高かったようだが)。

日大の一件は、集団の(この場合は大学の)腐敗構造を明らかにした。ピラミッド上位部分が不正をすると、一番上は変わらず、その下が腐敗していく。これは政府にも企業にもクラブ活動にも家族にも同じことが言える。日大の理事長は辞めないのではなく、日大の構造上辞めれないのだ。ピラミッド上位が無くなると、資本が無くなり指令系統を失うため、それはもう日本大学ではない。皮肉にも日大の一件が日本の構造のメタファーになっている。

魔女狩り記者会見 

5月22日午後3時 ラフプレーをした日大選手の記者会見が行われた。
彼はこの時点では犯罪者ではないし、芸能人でもない。もっとひどい傷害を起こした犯罪者もこのような記者会見は行われない。気になったのは、記者の質問が若い選手の人権や刑事訴訟になるかもしれない今後を一切無視し、質問しなくても分かる程度の低いものであることと、カメラに記者の顔が映らない点である。

『今振り返ったら、あの時のラフプレーをしたと思いますか?』などという質問はただ選手を傷つけるだけの時間の無駄な質問である。国民も馬鹿ではないから、『なぜ質問する側は一切傷つかないのか』というワイドショーの記者が一方的に人を傷つけている問題と、このような記者会見の後味の悪さに気づくはずである。

今が火山の噴火中、あるいは膿を出している最中であれば、溶岩が冷たく固まり、膿が出尽くせばこのような会見も少なくなるのだろうか。あるいは、キリストの時代も石打ち死刑場に石を持つ人や見物人が集まったというから、人間の本質は古代からずっと変わらないのかもしれない。

道徳教育に意味はあるのか

個人的には日大のアメフト部が日本国民のガス抜きに使われているように見えるが、不倫や失言、ラフプレーで大騒ぎする国民性の裏には道徳教育があるともとれる。

文部科学省の道徳教育学習指導要領解説には以下の表がある。

右の太文字だけ読むと、全部できる人間は聖人ではないかと私見ながら思う。つまり人間ではない。そもそも真理の探究と節度、節制、(生命の尊さ)は矛盾している。人間にできないことを、無理やり教え込む教育がもたらす弊害が現在のワイドショー個人叩き文化を生み出しているのではないか?

細かい文字を読んでも、具体例が示されずイメージが先行している。
アインシュタインは現実は厄介な錯覚と表現したが、それ以前に教育する側のイメージ先行で教育を受けたら、全体が現在のワイドショー個人叩き文化になるのは予想が難しくない。

大半のまじめな大衆が上図の右の太文字をくそまじめに履行している一方で、履行していない一方が得をしたり、犯罪を犯すと破壊に至るまで叩くのである。

多様性を認めるのであれば、イメージ先行で判断するのはよくないはずだが、『人は外見が9割』を承認し、SNSやワイドショーでついたイメージのみを信じる。(実際ほとんどの人間がそうである)この弊害により、日大のアメフト部でラフプレーを行った選手は社会的に死に、日大の監督は完全なる悪となり、ひいては日大を卒業した人間、関係した人間が恥を感じる文化は道徳教育にあると思われる。

確かに社会的規範を教えないと犯罪率が増える弊害があるが、上図の聖人になるための太文字を履行していれば損をするのは目に見えている。寛容な心で社会に貢献し、多様性を認め自然に敬意を払えば、がんじがらめで何もできない。道徳を守らないほうが得である。社会(これも個人のイメージ)は道徳を国民(これはつまるところ自分)に押し付けるくせに、金持ちや成功者や芸能人や政治家や諸外国(これも個人のイメージ)は道徳を守っていないではないかという不満が噴き出しているのが現在の日本の社会情勢ではないか。

“おおもと”がおかしいのである。人間は文部科学省がいうところの道徳を全部履行できない。国や親に都合の良い人材を作るための教育は果たして教育といえるのか?そして家庭環境を含めて誤っていたかもしれない教育を受けた人間はどうしたらよいのか。