ユング心理学 コンプレックスからの防衛 2.投影 ヒーロー願望2

2.投影

投影(projection)の機制は自分の内部にあるコンプレックスを認知することを避け、それを外部の何かに投影し、外的なものとして認知する。

実際、「人間はみな、ズルいものだ」と主張する人が非常にズルい人だったり、「ひとというものは結局薄情なものだ」と嘆く人自身、あまり親切な人とはいえない場合が非常に多い。そして、これらの「人間は」とか「ひとというものは」という一般的な呼称の中に、言っている人自身が含まれていないような表現であることは興味深い。自分を除いておいて、人は皆ズルいなどというのは、投影の機制が働いていることを如実に示している。この投影の程度が強くなり、すべての人が自分の悪口を言っていると思ったり、ついにはその悪口が幻聴として聞こえ始めると、これは病的なものと言わざるを得ない。

病的なものとはいわなくても、健常者でも、大なり小なり投影の機制を働かして生きている。自分のコンプレックスを他人に投影して自我の安全を図るわけである。投影をする場合は、投影をされる対象となるひとが、ある程度、投影を受けるきっかけを持っている場合が多い。つまり投影対象者に対してある程度コンプレックスを持っている。このため、投影を受けた人が、そのコンプレックスを逆投影することも多く、両者の関係はますます悪化する。コンプレックスは誘発現象のものを起こしやすいので、自分の内部にコンプレックスを多く持っている人は他人のコンプレックス(自分のではない)に気付きやすいこともある。このような人が自分は「感受性が強い」として、カウンセラーに適していると確信している場合もある。自殺未遂をした人が世界中の悩める人を救いたいと述べた例をあげたが、コンプレックスに脅かされる人々が、自分の内部に立ち向かってゆくよりも、外のひとたちを救うことを考えるのも一種の投影の機制が働いているものと考えられる。

投影の機制は常にマイナスの面をもっているわけではない。逆にこの投影によって、われわれは自己のコンプレックスを認知し、それと対決してゆけるとさえ考えられる。自分の中の権威に対するコンプレックスを他人に投影して、目上のひとであるとすべて恐ろしいように思っている場合を考えると、いつも恐ろしいと感じていた人が実は親切な優しい面をもっているとき、「おや」と思うに相違ない。これは現代で言う”ギャップ萌え”といわれるものではないだろうか。現代の人はギャップ萌えで思考停止してしまう傾向にあるが、本来であれば今までの恐ろしいと思っていたことが現実に即していないこと、そのようなものが自分のコンプレックスに根差していた思い込みであることを悟るべきである。これを投影の引き戻し(withdrawal of projection)というが、わたしたちは、生きていくのに、自分の投影機制の使用について尻込みせず、同時に現象を観察して取り入れてゆく態度を持つならば、自分にとって悪と思っていた人の中に、それとは違ったものを見出すのに相違なく、このときに影のひきもどしがおこなわれる。

このようにしてわれわれは自分のコンプレックスを認知するのだが、この「投影―投影の引き戻し」の過程において、コンプレックスの中に蓄えられていた心的エネルギーは、流れ出て建設的な方向へと向かう。このようにコンプレックスの内容を自我のなかに統合してゆく過程には、常に情動的な経験が伴うものであって、単にコンプレックスについて知的な理解をし、その内容について耳年より的に概念を得ても、逆に自我とコンプレックスの統合の過程を阻んでしまう。知識や理性によって、一時的にコンプレックスの働きを抑えたように思っていても、ユングが言うように我々がコンプレックスを無視できたように思っても、コンプレックスのほうが我々を無視してはくれないのである。

コンプレックスの投影の問題からコンプレックスを自我内に統合する過程を述べた。これを要するに、コンプレックスの解消を目指すならば、それと対決するほかない。心理療法、精神療法によって悩みを解消するという場合、この”よさげな”方法によって、積年の悩みが完全に消え去ると思っている人が多いが、実際の療法は実のところ悩みとの対決であって、悩みを深めることである。次回、コンプレックスを解消した少年の事例をあげる。

アイドル商法の搾取とアウラが宿った人形への投資

アイドル商法は承認欲求の強い女性を利用して、性的弱者から金を奪う最低なやり方だと思っていた。確かに、その面はある。だが100%ではないかもしれないと最近感じている。男性(もしくは女性)は現実の女性(男性)に絶望していて、アイドルは実際は現実の生臭い人間としりながら、生きた人形としての価値に、アイドルマニアは投資しているのかもしれない。これはホストやキャバクラのシステムに近い。

ユング心理学 コンプレックスからの防衛 1.同一視 ヒーロー願望1

強力になったコンプレックスに対処するため自我はいろいろな方法をとることになる。これが自我防衛の機制(defense mechanism)といわれるものであるが、ここでは主なものをあげて考察する。

1.同一視(identification)

この防衛機制はどれかのコンプレックスと自我が同一視され、自我はコンプレックスの影響下に置かれる状態になる。同一視には部分的なものから、全体的なものに至るまで程度の差があり、それに従って意識の障害の程度にも差がある。健常な人でも多少ともコンプレックスと同一視を行っている。好例としては、男性であれば父親と、女性であればその母親とよく似た考え方や行動をしていることが多い事実があげられる。同性の親に対して、非常に批判的、攻撃的になりながら、うまく表現できず、それが父親像、母親像を一つの中心としてコンプレックスを形成する。大人になってから、あれほど反発していた親の考え方や生き方をそっくり同じようにしていることがわかることがある。これが異性の親との同一視が極端に強いと同性愛に陥ることが多いと河合氏は述べる。

同一視の程度が自我の全面を覆うようになると、「私は神である」とか、「そのうち全世界を治める」と信じ出した場合、問題が非常に大きくなる。妄想型の統合失調症の人の宗教妄想と診断されるだろう。大切なことは、同一視の程度が父や母を超えて神や帝王などの像が対象となることが多い事実である。このことは、コンプレックスがある個人の経験に基づき、その経験の中で抑圧された”もの”のみの集まりだとしても、その背後に個人的経験を超えた普遍的なものの存在を考えることが必要なことを示している。この点に着目してユングは「普遍的無意識」や「元型」の考え方を発展させる。個人の個人的経験としての実際の母親像を超えて、いわば「母なるもの」と呼べるような普遍的なものの存在(グレートマザー)の問題を提起する。このようなユングの考えは、個人の幼児期の体験を非常に重視するフロイトと異なり、この点で両者は考え方の相違で分離していくのだが、著者の個人的見解として、不遇な幼少期の人間、あるいは不遇な家庭環境の人間が、精神疾患にかかりやすいのは事実であるため、著者はユング支持の立場をとるが、フロイトによる人間の昏い根源的な欲望、通常ならば目を背けたくなるような、抑圧された性的欲望、破壊などの獣的欲望についても考慮せざるを得ない。例として、シリアルキラーや大量殺人者の家庭環境や生育環境はメディアがねつ造した部分も多いと思うが、大抵不遇であることが多い。フロイトとユングの心理学的アプローチの違いは、フロイトが難病の精神疾患患者の治療、それも根治に心血を注いだのに対して、ユングは健常者もあわせた全体的な心理分析を試みた点だと考えられる。今日の精神治療においてはフロイトの心理学が主系となっている。

閑話休題、ユング心理学の話に戻る。両親との同一視において、実際に人間はその親の欠点から逃れることは困難である。自分では知らず知らずのうちに、その欠点を取り入れてしまうことが多い。親に虐待をされた経験を持つ人が自分のこどもに虐待をするケースなどがあげられる。それに気づいて反発した場合、反対の極に走る危険性も非常に高い。厳格すぎる親を持つ場合、極端な放任主義になって、子育てを間違える例が多い。このことは、親の欠点から自由になった、逃れたとは言い難い。この場合は同一視の機制が働いていることに自ら気づき、それの反動形成(reaction formation)を行っていると言える。このように相反するものが強い程度で存在することがコンプレックスの特徴であり、浅いか深いかの差はあるにしても、一つのコンプレックスはそれと相対応するコンプレックスをどこかに持っていると考えられる。相補性の考え方がここでもできよう。コンプレックスは文字通り複雑であり、ユングが複数人の内面に混在するコンプレックスを色に例えたのは、この複雑さを単純化する考え方として極めて適当であるといえる。

強い劣等感コンプレックスを持っている人は、どこかに強い優越感コンプレックスを持っている。この両者のうちどちらかが自我に近く存在しているため、意識されることが多いだけである。劣等感コンプレックスが強いために、自分を卑下したり、引っ込み思案の人も、実はその背後に大きい優越感コンプレックスがあり、その両者の落差によって余計に劣等感を感じさせられる。一例として、自分は存在しても仕方がないとして自殺を図った人の話で、「自分がせめて日本人として役に立てることは、一人でも人口を減らして(自殺をして)、日本の人口問題の解決に尽くすことだ。私のように悩んでいる人は世界中に多いと思うが、できればその世界中の人を救うような仕事がしてみたい。」というものがある。死ぬより外に存在価値がないというほどの劣等感と、全世界の悩めるひとを救いたいなどと優越感が共存している。これは鬱病の傾向がある人ならば、自己を犠牲にして(自分は死んで)世界を救いたいという願望に共感することがあるだろう。Amazarashiのヒーローという歌にも同様のものがみられる。精神医療ではこの電圧の高まった両極ともいえる相反するコンプレックスをショート、放電させずに、慎重に連結させることを心がける。

 

ユング心理学 コンプレックスの現象 1

ここで自我について、心理学における自我は自分の意識と同義ではないことを注記しておく。ユング心理学における自我の説明は後述するが、自分の意識の中心と今は考えてよい。

コンプレックスは自我の統合性を乱し、障害を生じるのでこの構造や現象を自我の関連性においてよく知っておくべきである。前述したとおり、コンプレックスは自我が受け入れにくいものであるから、自我が存在に気付かないのも当然である。河合氏は自国の周りを防壁で囲い、隣国と交易もせず、自国内のみで平和を保っている状態と例えている。この状態では防壁のある国境で戦闘が発生したり、外部から侵入してきた正体不明のゲリラから攻撃を受ける。これによって、敵になりうる国が隣に存在していることに気付かされる。この例からわかるように、正常な人でもコンプレックスの働きによって、とんでもない失敗をすることがある。さらに、この抑圧の防壁が非常に厚く堅い人は、隣国の脅威を全く知らない状態で、隣国が自国を滅ぼすほど強大になってしまったらどうなるだろうか。

この状態の最も劇的な場合が、二重人格である。今までの人格と全く異なった人格が生じる。ジキル博士とハイド氏という小説が有名である。著者は、ビリーミリガンの多すぎる多重人格について懐疑的であるため、ここでは触れない。二重人格の問題についてはジャネーの詳細な研究があり、ユングは高く評価した。そして、二重人格の問題はコンプレックスの問題と本質的に同じであると述べる一方で、すべてのコンプレックスが自我と入れ替わる性格を持っているか否かは断言できないとしている。

 

ネット記事と動画のタイトル

ネット記事と動画のタイトルは、クリックさせるための撒き餌となっていて、タイトルと内容が全く異なることが多い。アダルトビデオの女優のパッケージ写真と実際の内容の差異より、もっと振れ幅が大きく悪質である。これは誤った情報を発信していると差し支えない。悪い印象操作を意図的であるにしろないにしろ、見ている人に与える。人間は本来昏く、醜聞が好きなのを利用して、事実と90%違うタイトルを付ける。その捻じ曲げられたタイトルの記事を読めば、タイトルに釣られたということがわかるが、タイトルだけ読んで間違ったイメージを持って終わる人も多いことが予想される。成果主義で金がないのはわかるけれど、そんな仕事をしていて最終的に快になるとは思えない。悪いことをしていると次第に人は病んでいく。世の中の留飲を下げたいだけの人々には貢献しているが、誤った情報ばかりで混乱している人々を生み出しているのはこういった困った人々である。