ユング心理学 コンプレックス

ユングの導入した用語であるコンプレックスは日本語の劣等感と同義ではない。当初、コンプレックスという単語は心的複合体と訳された。ユングが1906年に発表した言語連想実験についての著作の中で、「感情によって色付けされたコンプレックス」(gefuühlsbetonter Komplex)という語を用いたのが発端で、のちに簡単にコンプレックスと呼ばれるようになった。コンプレックスの現象の解明は彼にとって非常に重要なものであり、彼は自分の心理学をコンプレックス心理学(komplexen Psycologie)と呼んでいたこともある。

種本とさせていただいている河合隼雄先生のユング心理学入門ではこの段階で連想実験について記述されているが、ここでは割愛させていただく。

コンプレックスは「お礼は決していただかないつもり」を「お礼は決して”いただく”つもり」などのいい間違いなどに現れる、無意識からの障害である。コンプレックスは一つの共通な感情によって、まとまりを持っているが、それは中心となるような核(core)をもっている。もっとも典型的なのが心的外傷(PTSD)である。例えば、自分の父親に性行為をされた女性がいるとすると、この人は耐えがたい経験を無意識の中に抑圧して生きてゆかなければならない。この場合、この経験に伴う恐怖感、嫌悪感もともに抑圧され、そのあと、類似の感情を伴う経験がだんだんとこれ(無意識下の耐え難い経験(core))に吸収されていく。教師にひどく叱られた経験、大きな犬に噛まれそうになった経験が、これに重なっていくかもしれない。それによって、このコンプレックスはより強大になって、自我(後に説明する)の存在をときに、おびやかすものとなる。この人は例えば、馬がむやみに怖くなる恐怖症を発症するかもしれない。馬という外的刺激がこの人のコンプレックスを発火し、それに伴う恐怖感がこの人を襲う。このコンプレックス内に蓄えられた感情が強力であればあるほど、その吸収力もおおきくなり、すこしでも類似性のあるものはひきよせて、コンプレックスは巨大になる。この中核をなすものは、ユングによると、前述したような自我によって受け入れるのが難しかったため抑圧された経験と、その個人の無意識の中に内在していて、いまだかつて意識化されなかったことのない内容との二種類にわけられる。このようにはっきりとわけないにしても、コンプレックスはつねに抑圧された心的外傷の原因を探し求めようとしたり、否定的な意味を常に持たないことを強調したいのがユングの狙いである。ユングとフロイトの意見の相違によるわかれもこの点によるもので、フロイトはコンプレックスの原因を催眠治療や夢分析で解明しようとし、その原因はほぼ性的な欲望の解消によって治療しようとした。フロイトのある種、原始的で麻酔を用いない外科的施術にユングは反対したわけである。(フロイトは心理学の基礎を築いた人間であるため、過度な批判はすべきではない。)

 

ベーシックインカムとT4作戦

ベーシックインカムとは個別に国が、無償で生活に必要な現金を配給する制度である。もし、導入するとすれば、年金制度はなくなると考えてよい。

ベーシックインカムは確かにメリットが多い。働かなくても、金が入るし、生活保護のように所得制限もない。子どもが生まれれば生まれるほど、ベーシックインカムは増える。賢い人間は、貯金にまわし、必要な分だけ働く。それによって、政府がベーシックインカムでの嗜好品の購入に規制をかけても対応ができる。ベーシックインカム自体は同じ通貨(円)であるから。

しかし、弱者救済に見せかけておきながら、その実、優生思想と何ら変わりない。ギャンブルでスってしまう人、異性に貢いでしまう人、計画性のない人、難病の人(これは別に手当をもらえるかもしれない)、性病を移されてしまった人、貯金をせず老齢になり、ベーシックインカム以外に収入がない人は治療をうけれない人、これら弱者はもれなく死ぬ。

破たんする年金制度の代替案として、ベーシックインカムを導入しようとする改革派の動きがあるが、実際は社会の功利を生み出せない無能な人間を減らす方策である。もう助からない病人の安楽死の認可をセットでないとこの法案は通らないはずである。

人は生まれてきたくて、生まれたわけではない。環境も選べない。失敗もするだろう。不幸が重なることもあるだろう。劣悪な状況にいる一人の代弁者として、弱者を殺すような方策にはまったくもって賛成できない。

ユングのタイプ(類型)6

3.意識と無意識の相補性

外向的態度と内向的態度、4つの心理機能の主機能と劣等機能については、言及してきた。意識の態度が一面的になるとき、それを相補う働きが無意識内に存在することをユングは重要視している。上図は外向的直観型の人の一例である。心理機能の主機能は1.直観機能、相反する未分化の心理機能は4.感覚機能、補助機能として2.思考、3.感情がある。数字が大きいほど未分化である。

主機能を頼りにして、補助機能を助けとしつつ、その開発を通じて、劣等機能を徐々に発展させていく。この過程をユングは個性化の過程(individuation process)と呼び、人格発展の筋道として、心理療法場面においても人格発展の指標として用いた。

余談だが、企業ではこの過程を軽視する。効率的に利益をあげることが企業の目的であるから、尖った機能をさらに尖らせる。それについての弊害は企業は考えない。(この部分は河合氏も言及している。)

個性化の過程(劣等機能の発展の過程)はユングが得意とする夢分析に特徴的にあらわれることがよくある。一例として思考型の人のトランプのハートがない夢があげられる。この人は夢の中で4人でトランプをしている。両隣には兄弟がすわっており、対面には見知らぬ女性が座っている。手札にはハートのカードがなかったという夢である。ユングの夢分析を使用すると、兄と弟から直観、感覚が連想され、ハートのカードや見知らぬ女性からは(情熱、愛情)が連想される。このことから、感情機能について自分はあまりよくしらないこと、その機能の発展として、女性ということも問題にしなくてはならないことがあげられる。劣等機能は見知らぬ人や、ときには抗しがたい怪物の姿で夢に現れる。

現代では一芸に秀でることが生きるための近道であるので、主機能が一面的に開発されるあまり、劣等機能の抑圧が効かなくなり、心療内科を訪れる人々が増えている。もちろん、女らしさを周囲に過剰に要求される内向的思考型の女性も同様に苦しむ。しかし、一般的な場合、心理療法においては、劣等機能の開発にすぐ着手せず、補助機能の発展に心がけることが適当である場合が多い。心理療法においては公式に当てはめるような治療は危険であるので、事例ごとに慎重に考えなければならない。一般に男性の場合は主機能で生きる人が多く、型の判定は容易であるが、女性は鋭角さは好まれないため、一つの機能がとがっていることは周囲から見えづらく、型の判定は難しい。

自分と型の異なる人を理解することは困難であるとユングは強調した。わたしたちは自分と反対の型の人を不当に低く評価したり、誤解したりすることが多い。外向型の人にとって、内向型の人は、わけのわからない冷淡な臆病者にみえるし、内向型のひとから外向型の人をみると、軽薄で自信過剰な人にみえる。音楽好きな感覚型の人が、音楽好きな直観型の人のきいているオーディオプレイヤーがノイズの多いことを指摘するのに対し、音楽好きな直観型の人は相手の人は音楽よりもオーディオプレイヤーが好きなのではないかと感じるようなことが例として挙げられる。その一方で、実際には恋人や友人を反対の型のひとを選ぶ人は多い。自分にないものを持っている人に対して抗しがたい魅力を感じるとともに、自分の個性化の過程(劣等機能の発展の過程)が外にも呼応して生じてきたものと考えられる。同型の人をパートナーに選んでも、逆の型をパートナーに選んでも、倦怠期は訪れる。無意識の反応だけでは劣等機能を暴走させたりすることもあるが、単なる両者の無意識の反応だけでは、離婚してしまうだろう。自己の個性化の過程を両者が努力していかなければならないだろう。

ユングのタイプ論は意識の態度に注視して、タイプを分けることを明確にし、次に意識と無意識の補償作用の存在の指摘へ進んだ。このため、外的な行動には複雑さが加わるため、タイプの判定は困難になっていることを述べている。結局ユングが強調するのは、意識の一面性を嫌い、全体へ向かって志向する心の働きである。このタイプ論の背後に自己(self)と心の全体性(phychic totality)の考えを認めることができる。

外向、内向はわかりやすいが、心理機能については疑問に思う人が多いと考えられる。しかし、自分のことを内的に考えてみて、自分の性格を改善し、発展させる道筋を見出そうとしたり、今まで不可解だった人をよく理解しようとしたり、人間関係をよくするための指標としてはよく機能することは強調してもよい。外からのレッテル貼りではなく、内側からみた性格論としての意義を十分持っているといえる。

 

バナナマン 日村勇紀さん

バナナマンの日村勇紀さんは、日本で最も面白い芸人の一人だ。顔が特徴的で、芸風が下ネタよりなので、女性受けはわるいかもしれないが、すべてにおいて全力で取り組む姿勢は他の芸人にはない。彼は時々、牛乳を噴出したことの罰や、恋愛関係でミスした時、理不尽かつ過剰にボコボコにされる。自ら炭酸水を何度も飲んだり、スタンガンをうけたりすることもある。そのときに「死んじゃうよ」というのだが、それがとても面白いのだ。彼は、自分の体の管理に興味がない。自宅に鏡もあまりないと考えられる。自分が醜い存在、世間から下に見られる存在を自覚しながら、相方の設楽統さん(彼もまた能力が非常に高い人だ)の書いたネタを全力でやる。途中で滑っても最後までやり切る。握手会で、知らない女性が溜飲を下げるためにビンタされても笑っている。彼の内面はあまりよくはない、聖人君子ではない(それはすべての人にいえるのだが)。だがしかし日村さんには、芸人日村勇紀という人を笑わせる強力なペルソナがある。毎年星野源さんが、彼のためだけに(バナナマンのためだけに)曲を作るのはそういう理由だと考えられる。

ユングのタイプ(類型)5

2.四つの心理機能

(4)直観

直観機能は事物そのものよりも、その背後にある可能性を知覚する機能である。(直感ではない。)その過程は無意識をたどって生じるので、他人にはわからず、本人も説明に困る。直観型のひとは、推論や事物の観察によって得られたように思い込んでいるが、説明をよく聞くと先行する正しい結論に未分化な思考や観察があとでかぶせているにすぎないことがわかる。感覚が事実性を追求するのに対し、直観は可能性に注目するのである。どんなひとも八方ふさがりになると、他の機能に頼ってもどうしようもないときは、直観が主機能でない人も直観が働き始めるのに気づく。

外向的直観型のひとは、外的なものに対して、現実の価値ではなく、可能性を求めて行動する。よい思い付きで特許をとろうとしたり、相場、仲買、対人関係の秘密、未完の大器をみつけることに情熱を傾ける。思考、感情機能に補助されない場合は、種はまくが、仕事が完成する前に違う対象に目が行くため、後人にとられることが多い。そのため、他人に富ませることに力を傾けながら、自分は貧困に困ることになる。この傾向が強くなると、抑圧された逆方向の未分化の感覚機能が頭をもたげ、制御を破って現れる。感覚型の人が何か宗教的、神秘的なものにとらわれるのに対して、現実的なものにとらわれる。自分の身体を異常に気にする心気症や、事物に対する無意識の緊縛と考えられる強迫症状や恐怖症となって現れることがある。

内向的直観型のひとも理解されがたく、外界に適応しがたいひとである。自分の内部世界に可能性を求めて、心象の世界を歩き回っている人が他人に理解されないのはもっともなことである。外界の事象には無関心で、最近起こったニュースの話題に興味もない。ともかく、不可解で非生産的であり、他人の支配下に置かれている場合が多い。外側から見る限りは、無関心、自信のなさ、不可解な当惑がみられるのみだから、周囲のひとから過小評価される。しかし、この型のひとが、思考や感情機能を補助として使用して外に表現する手段を見つけた場合、独創的な芸術家、思想家、宗教家として輝かしい成功を収める。あるいは直観があまりに鋭すぎる場合は、同時代の人には見捨てられ、未来の人に拍手されれる運命を背負う。この型の人は自分の内部の独創性に悩まされる。心象の旅は実際生活にはむしろ都合の悪いものであるから、無理に機械的・現実的なことをやろうとして、内的な摩擦によって、神経症に陥る人もある。

タイプの総括

8つの基本類型について述べたが、実際にはそれほど純粋な型はなく、いろいろな機能が絡み合っていることがわかる。