ユングのタイプ(類型)2 思考

2. 4つの心理機能

前回述べた、内向、外向とは別に、すべての人はおのおの最も得意とする心理機能を持っているとユングは考えた。心理機能は4つあって、それぞれ、思考(thinking)、 感情(feeeling)、感覚(sensation)、直観(intuition)としてユングは考えた。これら機能はすべての人に備わっているものだが、ある個人が4つのうちどの機能に頼ることが多いかによって、その人が思考型とか感情型であると考える。

この4種に前回述べた一般的態度、すなわち内向、外向が結びつくので、繰り返しになるが、8つの基本タイプ(類型)が出来上がる。

一般には、すべての中間に属する人が多いとユングは考えている。

冒頭の図に示した通り、思考と感情、直観と感覚は対立関係にあり、一方が発達していると、逆方向は未発達である。思考と感情は合理機能(rational function)、感覚と直観は非合理機能(irrational function)という。非合理とは、理性に反している意味ではなく、理性の外にあるという意味である。

(1)思考

ユングは思考を固有の(自分の)法則に従って、与えられた対象に概念的なつながりをもたらす心理機能であると述べている。思考は感覚として知覚される外的な事実や、心の内部の無意識的主観的なもの依存しているが、前者の(外的な事実に依存)場合、外向的思考型であり、後者の(内部の主観的なものに依存)している場合、内向的思考型であるとしている。客観的なソース(根拠)重視が外向的思考型であり、新しい独創的な考えよりも、よい組織、社会に役立つ理論を生成したりするが、わかりきったことを何回もしゃべったり、ほかの人も自分と同じように考えていると決め込んで、一つの型にはめ込もうとするような人になる。この型の人は感情を抑圧している人で、芸術や趣味、友達付き合いなどを軽視する。抑圧しがたくなったばあいも自分の思考の図式にそれを取り入れようとしていることが容易に認められる場合が多い。

内向的思考型のひとは、新しい「事実」についての知識よりは、新しい「見解」を重視する。「独創的な体系」を作り上げるが、ひとによっては伝達不能なひとりよがりに堕してしまうこともある。この伝達不能のフラストレーションが未発達な感情反応と結合して異常に破壊的、攻撃的考えや、行動となって表れる場合もある。感情反応が攻撃的な物にならない場合、素朴な無邪気さやおっちょこちょいといった態度になる。この種の人の考えの深さは尊敬を得たり、強い感化を及ぼすことになるが、一般にはよい教師にはなりえない。教えることそのものに興味を持っていないことが多いためである。

 

 

二足歩行ロボットの戦術兵器としての矛盾

機動戦士ガンダム(初期の作品)の最後の戦闘シーンでガンダムがジオングヘッドに頭部をビームで焼かれ、搭乗しているパイロットであるアムロが

「たかがメインカメラをやられただけだ。」
というセリフがあるが、あれはバルカンとセンサー付のカメラだったのだろうか?
目視でロックしていたのだろうか。
だとすればガンダムの頭部は意匠以外の意味はない。GPSもあるし。
最近のガンダムにもついてるが。
脚部も弱点をわざとつけているようなものだ。
ガンダリウム合金という無敵の金属を使うなら戦車や戦闘機につけたほうが良いし、そもそもなんで宇宙船艦みたいなのを量産しているのか不明である。マスゲームとしてならわかるが、明らかに戦闘で使用しており、主力である。しかも空母ではなく、モビルスーツを艦載できないタイプのものが初期では主流である。資源の無駄としかいいようがない。
メガ粒子砲って言う最強の兵器が最初からあるんだから、ミノフスキー粒子でレーダーが使えない(ミサイル誘導弾が使えない)という状況でも、コロニーに住んでいて、革命を起こそうとする頭のいい人がビグザムを最初から量産する知恵がないとおかしい。確かに地球の資源が目的でもあるため、大気圏突入のためのHLVや空母としてのザンジバルや戦車としてのザクやドムが必要なのはわかる。ザクやドムが二足歩行の必要はないけれど。ただでさえ、地雷という強力な対二足歩行兵器があるのだから。

そしてモビルスーツは何で動いているかというと核融合路だという。(エヴァンゲリオンは電源ケーブルをつないで走っていたが)
ザクマシンガンやヒートホークで戦ってガンダムに勝てないなら
特攻したほうが早いのではないか。それも、人間が載っている必要はない。ガンダム一機で戦況は変わらないというセリフが劇内にあるが、明らかに変わっている。
コロニーを落とさなくても連邦軍のジムなどのモビルスーツにニュータイプ的感応で全て核爆発を引きおこしたら地球が寒冷化すると思うのだけれど。架空の話で仮定の話をしてもあまり意味はないが、最近ロボット物を見かけないのは、リアリティを追い求める現代のニーズにあっていないからではないだろうか。

エヴェレットの多世界解釈

ジョン・タイターをご存じだろうか。

2001年にアメリカにタイムトラベラーとしてネットに書き込みをした人物である。

彼の予言は的外れなものもあるし、ドンピシャであててるものもある。
そして世界線の2%のズレという逃げ道まで用意している。

世界線は無数に存在し(並行世界は無数に存在し)、タイムトラベラーが自分を殺しても世界線が変化するだけだから、矛盾は起きないという説明をしている。

ピアノマン臭がすごくするのは そのタイムマシンの説明なのだが……。
それはさておき、多次元世界が存在するならば、無数のずれた世界史が何らかの形で伝わらなくてはおかしくないか? タイターの仮説が正しいとするならば、タイターは、すなわちタイムトラベラーは世界線がずれていないという判定ができる。つまり、世界線がずれている多数の世界をしっているはずである。よって、多次元世界が存在するならば、(タイムトラベラーが未来にいるとするならば、)無数のずれた世界史が何らかの形で伝わらなければおかしい。中くらいの首の長さのキリンがいないという進化論のアンチテーゼと類似している。 これによって、未来から来た人と証明できる人に会ったことがないのだから、未来にタイムマシンはできないという結論と同等の結論が導出できるのではないだろうか。

 

ユングのタイプ(類型)1 内向と外向

ここではユングのタイプ論について述べる。タイプとはすなわち、クレッチマーが外見でその人間の特性を分けたようなものである。

このタイプは在日だからとか黒人だからとかという単純なレッテル貼りではない。また、乙女座やAB型の今日の運勢とは全く異なることを先に明記しておく。

タイプを分けることは、ある個人の人格に接近するための方向付けを与える座標軸の設定であり、個人を分類するための分類箱を設定するものではないことを強調したい。 ユング心理学入門 河合隼雄

ユングのタイプは大雑把に言うと8種類に分けられる。

まず一般的態度として内向外向の2つにわけられ、さらに、心理機能として、思考感情感覚直観の4つにわけられる。内向的思考型、外交的直観型のように、内向、外向に対して4つずつ心理機能で分けられるので、全体のタイプは8種類になる。

1.内向と外向

内向と外向は、多くの人のイメージ通り、陰気か陽気、社交的かそうでないかである。

外向的な人はコミュニケーション能力に秀でており、社会に溶け込みやすい特性を持つが、その根拠は適当な考えと行動によるものなので、考えが皮相的になるものが多く、ほかの人のつながりがあるから、自信をもつが、外的障害に対してもろさを持つことがある。

一方、内向的な人は過度に自己批判的で、自信なさそうにみえる。実際に自信のない人が多い。友人を作りにくく、社会適応が困難である。いったん思い込むと少々の障害にはたじろがない傾向があるが、パーソナルスペース(自分の領域)以外では、とかく周りの人とうまくゆかず、内的充足のみに心がけ、外部に伝えることに無関心である人もいる。

この2つの一般的態度は、多くの人間は両方の態度を共に持ち合わせているが、大体は一方の態度が習慣的に表れるため、類別することは容易である。外部環境によって、内向の人が外向に矯正されると、神経症的な症状に悩む事例がある。

一般に外向的な人が社交的で適応がよい(ノリがよい)等の高評価を得る一方で、内向的な人は、社会不適応者だとか病的、自閉的だとか、自己中心的のレッテルを貼られることが多い。

ユングの心理学では相補性が重要なキーワードである。こころは片一方の尖った性質を補うかのように、反対方向の影をもつということである。

外向型のおばちゃん、またはお母さんの急なヒステリー症状は、外向的な一面性の反作用として、肉体的な障害という手段を用いて、外へ向きすぎた心的エネルギーを無理にうちに向けようとするから、内向的な性質を帯びた妄想や他を考慮しない自己中心的な態度をとるようになるとユングは考えている。

内向型の人は、外界の関係を断ち切り、外の人間の価値を低く見積もろうとすればするほど、無意識的に外の社会の虜になってしまう。その内的な相克の戦闘で疲弊し、消耗して、鬱などの神経症にかかってしまう。この病気の特徴は、一面では異常な神経過敏と、他方の非常な疲れやすさによる肉体的な動きの鈍さとして現れる。

次は、4つの心理機能について述べるが、私がユング心理学を全面的に信用しているわけではないことをここで明示しておく。

疑わしいのは無意識の行動と夢分析である。無意識はあると思うが、ある人が財布を忘れたことと、鍵をかけ忘れたことは無意識の表れであるとか、言い間違って本心(無意識)が出た。という事象については、結果論で何とでもいえる。夢分析も同様である。治療者や分析者の後付けの説明でなるほどと納得することはあっても、財布やカギのかけ忘れや失言の損失には変わりない。

メディアに出てくるコメンテーターや評論家、有識者にみえるひとびと

経済評論家、軍事評論家と言われる人々が、ミサイルのXデーをことごとく外し、いつもテレビに出てきて、サイバー攻撃の曖昧な理論を展開する。例えばミサイルの部品にマルウェアが含まれており、レフトローンチ理論を展開する。ミサイルの部品の例えば温度センサーにバグを仕込んだソフトをRAMに焼いているだとかならわかるが、軍事評論家の説明はUSBメモリを装置にさせばよいとかリテラシーの低いことを言う。”発射可能性は低いかもしれない”だとか、ミサイルの発射権はごく一部の人間しか知らないで終わる。それはネットで調べればわかる知識であり、専門性は限りなく低いのに、専門家と呼ばれ、不安を煽りテレビ局から給料を得ている。そもそも情報のソースが4,5年前のものだったり、すでに引退した海自の高官や存在するかどうかもわからない米海軍の軍人の情報であったりする。こういう人々の特徴は定量的な可能性の数値を出さずに、警戒が必要であるの一点押し。番組構成は飢饉に陥れる独裁者は粛清されるべきというような感情論にもっていく。これは情報とはとても言えない。必要な情報はJアラートの空襲警報のような音だけだ。控えめな有識者の発言のほうが信憑性が高い。実際に目で見て、写真を提供して話をする人よりも、高慢に腕を組んでローテクな軍事技術のほうが却って危険であるなどと宣う、標本数が少ないか全く根拠のない情報を自信満々で話すひとびとはおかしいと視聴者は気づいている。